手相をみてもらう
ドクター中松と同じ手相ですね
と、いの一番にいわれる。
手のひらではなく
手の甲をまずみられたときに
ドクター中松
ノーマークだったので
そういわれても
嬉しいや嫌といった感慨
これといってなにもわいてこず(笑)
手相というと
手のひらをみるものだと思っていたけれども
指の関節や長さ
太さ、大きさから読みとれるらしい
手のひらはその答えあわせみたいな感じで
手の甲からは
直感、感覚で読みといていき
手のひらは言語化されてるものを
みていくような
なかなかもって
興味深いひととき
みてもらうって
わたしのことをみてもらっているけれども
みてもらう人を
みているところもある
一方通行ではなく
双方向的な
第一ステージは
見るひとの世界観を
わたしの方でみさせていただき
その癖なりをある程度掴めたら
第二ステージで
こちらが聞きたいことを
いかにしてその人のワールドから抜け出して
聞き出していくか
引き出していけるか
相手もこちらが何を知りたいのか
聞きたいのかを
掴んだほうが
より的を得た話をしやすいし
聞きたいことを掴んでも
こちらが質問しても
その人とこちらの
世界観や考えの
歩みよりをしないと
腑に落ちない
しっくりこないことになる
どんなにみえてるものが
的確で正確だったとしても
響かなければ意味がない
自分の手相のことをいうと
どうやら土星環というものがあるらしい
また、みていっているそばから
どんどん手相が変化していく
まだまっさらなノートのような状態の
手相をしているらしい
ふむふむふむふむ
実るほど頭を垂れる稲穂かな
は、会う前に易ででた答えらしいのですが
手相ともマッチングしていて
面白かったーーー!
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