別れかた、暮らしかた
生きることと
長生きをすること
は違くて
だから
手相をみてもらっているときも
どのくらい生きるか気になりますか?
というようなことを問われても
間髪いれず、いや全くと即答。
生まれて来る前に決めてきた
この通りいくと
追い風ばかりの順風満帆だよ
シナリオを
あえて書き換えて進んでいる現在
なのだけれども
その書き換えをしたときというのが
生と死の境目が曖昧模糊のときで
書き換えられたシナリオはというと
そこまで大幅な変更ではなくて
受けた印象は
そのまま通りいくのは
なんかつまんないし
なんか癪に触るし
自分なりの色をいれたい
というような書き換えの仕方
そのあとに
タイトルにあるイベントに
足を運んだのだけれども
生き方病みたいなことを
登壇者の一人が
口にしていて
結局これは何を伝えたい
したいイベントなのだろうか
ただ流行りに便乗した
ビジネス的な
自己欲求満足的な感じ
といったものを感じていた身としては
なかなかもって
その一投は、さわやかでありました。
あと
腹をくくるかだけ
ということも
ちらっと話題に出ていて
そういえば
曖昧模糊だったときが
意識的に腹をくくった
最初のときかもしれないなと思ったり
長生きすることに
意識が向いている人が
どのくらいいるのかは
わからないけれども
ただ長生きしても
まったくもって意味がなくて
ただ、どう生きるか
どう在るかだけで
腹をくくるというのは
わたしの個人的解釈意味付けは
いつ死んでも悔いのないように
出来るだけ悔いのないように
生きていること、在ること
それだけで
その辺まだまだ手ぬるく
自分の中でも自分の本心
装飾、虚飾してるよね?
というところあるなあと
認識させてもらう
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