SARA SOJYU
- 女の子っぽさ、女について
- 最近のまばゆきものは健やかさや安らかさだなあと自転車で道を駆け抜けていく少年とか学校帰りの子供たちとか道端で日向ぼっこしているおばあちゃんとか視線の端に引っかかって思う。今朝、適当に本を開いたらこの世界に生まれることはそもそもとても不自然で不安定なものであってだからこそ、みんなひとつになることとかなにかを信仰する、盲目的に信じたい従いたい、従属したいという欲求が本能的に持っているというようなことが書いてあった。まあそうだろうなあ。全体的なところから今は抜け出して「個」としての体験・経験をしているんだろうから、と。だから、誰かと繋がりたいとか守られたいとか、ひとつになりたいという欲求がうまれることはとてもとても自然なことでそれはいいのだけれどもそれが行き過ぎるとまた、うまいこと活用されると原理主義とか愛国主義とか一神教みたいなこれがすべて、これだけが正しいところにいってしまう。まあ、それが好きな人はそれでいいのだけれどもそして、そういったものの甘美なまでの魅力はいやというほどわかるので抗いがたいよねえって。今、繋がりとか繋がることとかが何かといわれてたりするけれどもその風潮が示しているのは簡単な話で、安心してぬくぬくできるところがなくなっちゃっているんだよねって。どんなことがあってもなにがあっても守ってくれたり安心して休める場所家族や家庭っていうなんてことのないそういったものがそういう場所じゃなくなっちゃってたり築くことができなくなっているから。道路の道端で、つらつらと日向ぼっこしながらうつらうつらしているおばあちゃんとかそういう社会的にはなんの役にも徳にも利益にもならないとされている存在や事柄がわたしたちの生命としての根源的な安心や安定を支えているのだけれどもそれは数値や数で示すことのできないものだからどんどん排除、崩壊していっちゃってピラミッドのベースがぼっろぼろの状態が一瞬浮かんできた。一番人のやわくて操りやすいところだから変なかたちで具現化されて集団的な団体での思想や行動に繋がっていくのはほんといやな空気、感じ。だから、繋がりとかがクローズアップされてくるのはすごいシグナルのようにみえてきてぞわぞわしちゃう。
0コメント