最近のまばゆきものは
健やかさや安らかさだなあと
自転車で道を駆け抜けていく少年とか
学校帰りの子供たちとか
道端で日向ぼっこしているおばあちゃんとか
視線の端に引っかかって思う。
今朝、適当に本を開いたら
この世界に生まれることは
そもそもとても不自然で不安定なものであって
だからこそ、みんなひとつになることとか
なにかを信仰する、盲目的に信じたい
従いたい、従属したい
という欲求が本能的に持っている
というようなことが書いてあった。
まあそうだろうなあ。
全体的なところから今は抜け出して
「個」としての体験・経験をしているんだろうから、と。
だから、誰かと繋がりたいとか
守られたいとか、ひとつになりたい
という欲求がうまれることは
とてもとても自然なことで
それはいいのだけれども
それが行き過ぎると
また、うまいこと活用されると
原理主義とか愛国主義とか一神教みたいな
これがすべて、これだけが正しい
ところにいってしまう。
まあ、それが好きな人はそれでいいのだけれども
そして、そういったものの
甘美なまでの魅力はいやというほどわかるので
抗いがたいよねえって。
今、繋がりとか繋がることとかが
何かといわれてたりするけれども
その風潮が示しているのは
簡単な話で、安心してぬくぬくできるところが
なくなっちゃっているんだよねって。
どんなことがあっても
なにがあっても守ってくれたり
安心して休める場所
家族や家庭っていうなんてことのない
そういったものがそういう場所じゃなくなっちゃってたり
築くことができなくなっているから。
道路の道端で、つらつらと日向ぼっこしながら
うつらうつらしているおばあちゃんとか
そういう社会的にはなんの役にも徳にも利益にも
ならないとされている存在や事柄が
わたしたちの生命としての根源的な
安心や安定を支えているのだけれども
それは数値や数で示すことのできないものだから
どんどん排除、崩壊していっちゃって
ピラミッドのベースがぼっろぼろの状態が一瞬浮かんできた。
一番人のやわくて操りやすいところだから
変なかたちで具現化されて
集団的な団体での思想や行動に繋がっていくのは
ほんといやな空気、感じ。
だから、繋がりとかがクローズアップされてくるのは
すごいシグナルのようにみえてきてぞわぞわしちゃう。
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