人の気配よりも、人以外のものの気配が色濃い空間
「セミの鳴き声にすきまができるようになってきましたね」
というようなセリフを
日が差し込んでこない薄暗い室内
窓辺には草から紡いだ手製の糸
天井からつるされているハーブ
硝子の中に無造作に放り込まれている草花
そして窓の外に広がる
息吹に満ち満ちている草木花
その先に広がる海を目にしながら耳にし
「夏の間は、セミの鳴き声が途切れることはなかったのに」
という言葉が続き
人の気配よりも、人以外のものの気配が色濃いその空間で
太陽の日差しを浴び、緑に包まれながら、風を受け、夜を迎え
その中に身を浸しているその人の姿がふわっと浮かびあがってきて
その光景の中に、大切なものがきゅっとつまっている気がして
その人のほうに視線をやると
存在自体は静かなのに、ぴかぴかしていて
なんとなく見続けることが眩しくて目を伏せた
わたしがこう在れたらと思っている方のもとへ、久しぶりに足を運んだ日のこと
コンクリートに覆われていると
地球が呼吸できないけれども
気脈や地脈に沿って、あるところだけ
ピンポイントで空気孔のようなものを開けてあげるだけで
流れが変わる、呼吸ができるようになる
といった話や
動植物は、どんなに人間に疎外されたり邪険にされたりしても
それを恨むようなことはなく
ただただ人の役に立つことに喜びを感じていて
人の、わたしたちの役に立ちたがっているということや
少し前まで馬は人間の生活にとって
きってもきりはなせないものであったこと
馬が土を踏むこととはどういうことなのか、意味するものについてや
その馬が今ではそのような使われ方をしていないことについて
それは馬だけでなく、人間ひとりひとりにとってもそうであること
それぞれみんなが損なわれ続けていて
その喪失感や焦燥感、どうにもならないものが
弱いものへと無意識的にぶつけられていることなど
とりとめなく脈絡なく話を続けていたのだけれども
その日わたしたちが話していたことから炙り出てくるキーワードは
「敬意」や「尊厳」であり「ときはなつこと」であったこと
その人がやりたいことは
「人をときはなつこと」
わたしのやりたいことも
まずは「わたしをときはなつこと」
そしてその次に「ひとをときはなつこと」
きっとみんなときはなたれたがっていると
わたしは感じていて
この日、その感じが言葉になった
夕暮れ、ずいぶんと涼しくなってきてから
裏手の山にある神社にお参りに行くと
その人が鳥居をくぐり、手をあわせると
その瞬間、まわりがふわっと明るくなるくらい
そこの土地神様が喜んでいたそう
その人はそんな風に、土地神様だけじゃなくて
自然や動植物に愛されているような人で
その人の住んでいる家や庭には
いろんな目に見えないものたちが
嬉しそうに楽しそうに行き交っていると
一緒に訪れたそういったものがわかる人が話してくれた
「なんでなの?」
と、聞いたところ
「そちらの気配や存在と近しいからなんだと思う」
と、その人は教えてくれた
また
「お役目があって、お役目に対して覚悟を決めた人に対してのサポートと
またその強さを見せてもらった」
といったことも
海の家に行って
久しぶりに砂浜を裸足で歩き
波音を聞きながらの
夕暮れから夜にかけての時間
生ぬるい夜の海の中に足をいれていると
今までずいぶんきゅきゅっと凝り固まっていたことに気づかされる
海はどこまでも緩めていってくれる
それはここの土地がもつパワーでもあるし
そこに集っている人たちの気配が生み出すものでも
みんな日焼けなんておかまいなしに
こんがりやけていて
ラフに自然で力が抜けていて
にこにこぴかぴか笑っていて
みんながみんな誰もが知り合いみたいに声かけあっていて
帰りがたくて
少しでもこの気配に身を浸していたくて
バスにしばらく乗らずに海辺の道を歩いて帰った
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