リアル
自分とは遠いこと
例えば世界の恵まれない子供たちとか
世界のシステムのこととか
に対してあーだこーだいったりしているときは
現実逃避をしているとき
現実から目を背けて
自分を肯定させたいんだろうなあと
いろんな人のSNSをまとめてばーっとみて
各人の傾向みていて、その人のいる状態を
勝手に推し量っている
というか、勝手にそこまで頭が進んでみている
遠近感はとても大切だから
ものをみるとき、考えるとき
常にその両方やいろんな角度、距離感から
物事をみることは必要だけれども
遠いとこみすぎだろう、あなた
っていう人、たくさんいるな
現実の自分から脱却したかったり
そこで夢みてたりしたいんだろうね
インターネットとかの世界でなら
いくらでも虚構の自分偽れるから
現実逃避するには最高のアイテム
そして仮想の中の自分と
肉体をもって体感している自分とのギャップがでてきて
その距離感つかめなくなって
よくわからなくなって
ていうところまではいかずに
適当なところで適当にオナニー的自己満足して
人生終えていくのも、まあある種の幸せなのかも
わたしは選択したくないけど
わたしたちの世代はまだ、リアルと仮想が
体感できるけれども
仮想だけしかないような
仮想の中で生きて終わっていくのも
そう遠くはないのかもなあと
SNS見ていると感じる
いやしかし
わたしが今勝手に区分けしちゃっているけれども
肉体で感じられる、感知できると
思っているものだって幻想かもしれない
仮想とか現実とかリアルとかの
線引き自体もよくわからないもんだし
だから、仮想とかリアルとかのところからじゃなくて
もっと単純に
人の誹謗中傷ほど甘い飴はないってとこと
世界中には学校に通えない子供たちがとか
そういうことも正義感
たやすく満たしてくれるけど
言ってることとやってること
できるだけ差がなく生きていたい
そうでありたい
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