会いたくなる人に会わないこと

テイストとかセンスとかがどうにも馴染めなくて
しばらく手にしていなかった方の新刊が出ていたので
久しぶりに手にとったら
なんで自分がこの人の本を読み続けていたのかが
年を経てわかった。

核の部分の考え方や人生の捉え方が
とても自分と近しい。

幸せのパターンのこととか
夢を叶えるということについての説明や
多岐に渡るその人の考えを書き連ねているのだけれども
ものの見方や考え方を
誰かに強制したいわけではないし
そもそもそれが正しい、自分が正しいと
思っているわけではないところ
このスタンスがあるかないかを
わたしは人をみるときのひとつの基準にしている。

多分、会うことはこれから先もないだろうけれども
この世界のどこかに
こういった人が存在しているということが
とても励みになる。

その人の本の中に矢野智徳さんに関することが
何回かにわたって出てきていて
この方のことは、わたしが草との接し方について
リスペクトしている方のところへ
遊びにいったときにも、話題に出た方だった。

その方のところに一緒に行ったのが
土地の地脈がわかる能力者の方だったので
どうしてもそっちのことと絡めて話を聞いてしまっていたので
自然との観点からもっと耳を澄ませて聞いておけば…となる。
まあ、それはそれでいいのだけれども。

改めてネットで調べて
矢野さんに会いたくなるが
この方が実際に講座に参加されたときのくだり
「矢野さんの説明を聞いた若い男の子が質問をしていた
 そのときのやりとりが、昔の本とかにあった
 本物の学びの場のようだった」を読むと
実際に動画などでみるよりも
生で矢野さんに会うと、得るものが違う
とも書いてあってそれがあるから
会いにいきたくなるのだけれども
ご多忙の日々の矢野さんに
会うべき人、会った方がいい人は他にいるから
その人たちに譲りたい、となる。

昔だったら、会いたい人がいたら
何が何でも結構会いに行ってしまうようなところがあったけれども
最近は、その人に会った方がいい人たちに
その機会なりチャンスは譲りたい、と思うようになっている。

自分がセミナーや講座を主催するにあたって
この人にアクション起こしたいなあ
という方がいたとしても
興味本位やその人を呼べば確実に人が集められるから
だけの理由では、もう、声をかけたくない。

声をかけたい人であればあるほど
自分のことはさておきで
全力で駆け回ってやり尽し続けている人たちだから
そんな人たちの貴重なひとときを
客寄せパンダ的に使いたくない。

何かをするにあたって
なぜ、その人を呼びたいのか
その人を呼ぶことによって、どうなるのか
のストーリーが見えてくることをしたい。

自分のアンテナにひっかかる
その人が伝えたいと思っていることに
耳を傾けてくれる人たちを集めるような
イベントなり講座を自分主体でできるようになろうと思う。

結局自分はどこまでも伝えたいタイプで
それは、自分が、というのではなく
自分がいいと思う人を、広め伝えてゆきたい。
それをすることが、わたしの社会との関わり方のひとつ。

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