教誨師


去年の夏頃に
本屋で「教誨師」について書かれた本を見つけた。

気になったけれども
そのときの自分には
それを読むほどの明るさがなかったから
買うのやよした、けれども
気になってしまって
結局は、10分ほど
別の日にぱらっと内容をさらってしまったけれども。

そんなことも忘れかけていた頃
「教誨師」についての映画があることを知った。
しかも、近所の映画館で上映されていると。

放っておくと
いろんなことを考えて
どつぼにはまって
どんどん暗くなっていく質だから
気になるけれども放っておくと決めたのに
映画の予告をぽちりとしてしまう。

以前、ここの日記にも
「ラク」ということについて書いたけれども
「ラク」は便利だ。

余計なことを考えなくていいし
余計なことに感情をかき乱されなくてもいい。

ただ、それってなんだかロボットみたい
と、わたしは思う。

この映画の予告にもあったけれども
「生きるとは何か」
という命題に
わたしなりの答えを添えるとしたら

感情ゆさぶられまくった
五感を通して
いろんなことを経験しまくること

だと、思っている。

これって、しんどい
楽しいことならいいけれども
楽しいことだけ選んでいても
感覚がマヒして
楽しいことも普通になって
いつしか苦しいことになってたりもする。

話しを戻すと
「ラク」を選択する人生もありだけれども
「ラク」を選択する人生に
わたしは心揺さぶれない

いや、揺さぶられるし
そっちにいきたいと願ってもいるけれども
それを選んで日々を送っていると
生きているのか死んでいるのか
わかんなくなる。

死刑囚の若者がいっていた。
「ラク」になるよな、「感情」がって。
「教誨師」の人に向かって。

■死刑囚6人との対話 「教誨師」
 http://kyoukaishi-movie.com/

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