人が生まれることや死ぬこと

最近、身近なところで
子供ができたと思ったら
亡くなったり、ということが相次いでいる。

そのことについて
わたしの感情が揺れるようなことはないけれども
一応、誰かがいるときは
子供が産まれるということに対しては喜び
亡くなったということに対しては悲しんで
いるけれども
そういったふりをしているけれども
自分の感情が揺れることは一切ない。
そのときに浮かぶものといえば
そうなんだ、くらいなものだ。

むしろ、目が覚めたとき
部屋に朝陽がさしこんでいるのがわかったときのほうが
わたしの心を揺さぶってくれる。

なんとなく人の生き死にだけではないけれども
こういうときはこういう反応をするもの
みたいにされているものに対しては
反応が鈍い気がする。

自分の純粋な感情というよりは
社会的習慣で刷り込まれた条件反射。

不快な気持ちにならないように
そうであるべき反応を
最近はとるようにしているけれども
とってはいるけれども
本当のところ、心はちっとも動いていなく
むしろ冷静に、そういったことの報告をしている人の
こちらの反応を見て
思った通りの反応がきたことに対して喜び
それに対して、すでに準備万端用意してました的な返答、対応を
白けた感じで、じっと観察している。

こんなわたしだけれども
たとえば誰かが亡くなった時
こんな思考が入るすきもないくらいに
悲しみにくれたり
子供ができたときは、歓喜することだって
ゼロではないのだろう。

むしろ、そういった反応、感情が
自然とわきあがってくるような人間に
生きている間になりたい。

それにしても
人の行動のあれこれ
それに伴う、期待など
感知できないくらいであったら
楽だろうになあ。


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